山の日レポート
自然がライフワーク
「TOKYOにも山がある!」第4回 雪の箱根山
2023.11.01
2022年1月6日、昼から東京区部では雪が積もり始めた。午後8時ごろには止んだが、我が家板橋区辺りでは3センチほど積もった。
今週末に都区内で最高峰の箱根山(44.6m)に登ろうと思っていたが、急きょ雪山登山に変更した。最高峰に登るからには麓の水辺を出発するのがいい。ということで神田川の面影橋から甘泉園、穴八幡を経由して早稲田大学文学部脇の蟹川跡をたどって箱根山に行った。
私は30数年前に蟹川(かにかわ)の対岸高台にある都立戸山高校に10年ほどお世話になっていた。どの年だったか大雪が降ったことがある。その時に学校までクロカンスキーで行き、
「このまま関東平野の雪原を滑って新潟までいくぞ!」
など騒いだが、午後には日が照り黒々とした道路が露出した。新潟までスキー滑走の夢は溶け去った。
授業の途中に生徒を連れて雪の箱根山に行ったことがあった。あの頃はしばしば大雪が降った。関東平野一面が雪の原になったこともしばしばあった。それを見て関東雪原をスキー横断することができると確信したのだが、急速な温暖化でもうムリになった。昔の関東平野の雪は今回ごときではなかった。
そんなことをFacebookに投稿したら返信があった。
●たぶん24年前のことです。
スキー部の私は近所の坂で受験前に滑りまくっていました。おかげさまで、お薦めいただいた大学を滑らずに合格できましたが、先生も同じようにはしゃいでたとは。
●あのときは、地学職員室にクロスカントリーのスキー板がいつまでも立てかけてあって、
「雪が解けちゃったからスキーで家まで帰れないんだよ~」
とおっしゃっていたのを覚えています。
常識にとらわれない発想をすることの楽しさと大切さを教えてくださったと受け止めています。
●学校までスキー板つけて滑って来ようとして職質された後お巡りさんに注意されたが振り切った!と授業中お聴きした記憶があります。
江戸の昔、ここには尾張藩の下屋敷があり、広大な敷地に大庭園が造られていた。箱根山は盛り土で作られたものだ。明治になると徳川家の屋敷は接収され陸軍の戸山が原演習場になり陸軍戸山学校が作られた。現在の明治通りの下に急な崖があり、そこに向かって射撃訓練が行われたそうだ。
戦後になると蟹川の対岸の高台には早稲田大学理工学部の“国連ビル”が建ち学習院女子大が整備された。女子大の隣に府立四中が移転して都立戸山高校となった。友人たちからは「こんどは富山県に転勤か!単身赴任カナ?」など言われた。友人たちが無智なだけで戸山高校は超名門高校だった。中でも天文部は宇宙ステーションとやり取りするような活動をしておりNASAやJAXAに勤めた卒業生も多い。
箱根山山頂からは桜の木が茂って眺めが悪いが、かすかに戸山高校の天文台が見えた。私は一応天文部の顧問だったが山岳部顧問の方が忙しく、山岳天文部と称して陣馬山頂上へ夜間登山、天体観測など安易なことをしていた。天文理論の指導は優秀なOBがやってくれていた。今ごろ感謝しても遅いかな。
桜の季節にもまた来ようと思ったが、桜の名所なので今日のようにゆっくりと感慨に浸ることはできないかも。いい時期に登山をしたなぁ。
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