山の日レポート
通信員レポート「おきなわ」
沖縄クライミングシリーズ
2023.04.07
比嘉正之さんが沖縄渡名喜島クライミング体験会について紹介してくれました。
渡名喜島(となきじま)の小字名はカメの甲羅の模様みたいに山奥までびっしり名付けられ土地利用が緻密だったことがわかる。
渡名喜村教育委員会の上原教育長にそう言うと「中には番地があるところもある」というお話でした。
渡名喜島(となきじま)では人が少なくとも3500年前から住み始め、琉球王朝時代には火持ちの良い木炭の産出で知られ、明治以降はカツオ漁でにぎわい県内でも早い時期に赤瓦の民家が立ち並ぶような経済的豊かさがありました。
平成12年にその町並みは国の重要伝統的建造物群に選定されています。昭和の中頃には終戦後の引揚者で人口2000人を超えながらもほぼ自給自足できるような食糧生産力もありました。
ところが現在は2023年1月の統計で人口320人ほどに過疎化が進んでいます。
それをこのままにせず島おこしできないものか?
渡名喜島の歴史や伝統が途絶えることなく続くことは、私のような他所の人間でも願うことです。
昭和の中頃までの里道の一部を復活させ、島のダイナミックな山岳景観を眺めながら歩きたい。
道を通す際に伐採する樹木で風呂を沸かして入りたい。
サウナでもいい。
サウナと往復する水風呂が必要だが水は冷たい方が「ととのう」(笑)
洞窟の中を流れる水なら冷たい。
石灰岩山地にはかならず洞窟があるはずだ。
サウナと洞窟水風呂は登山道やキャンプ場や日本屈指の岩場でのエリア整備作業に疲れた体を癒すにはもってこいだ。
島の北側で温泉を掘ってもいい。
空き家になった民家を再生させ、夜は冷たいビールで祝宴する。
クライマーや登山客が増えて島の人がガイドする。
渡名喜の若者が島に帰ってくる。
たんなる妄想ではなく、おおいにありえます。
2023年3月18日、そんなことを考えながら渡名喜村教育委員会の上原教育長と渡口係長に案内されて島の中を回りました。
クライミング体験会をやろうと目星をつけていた集落から少し南西に外れた高田のニシェ―ダは、元々若者たちのモーアシビー(毛遊び 歌三線などのリクレーション)の場所であり、そのモーアシビーの風よけになっていた大岩が、ちびっこや初心者から上級者までクライミングのために非常に好適な形状なのです。
機を見るに敏というかずうずうしい気がしたのですが、私が渡名喜島のグスクや拝所を巡るツアーを企画すると「クライミングはやらないのか」と希望が出たので、時間はタイトだけど『岩』が渡名喜島の観光資源となりうる事のデモンストレーションになるならば“体験教室”がよかろうと考えて渡名喜村教育委員会の上原教育長に提案したのでした。
ダメ元でしたがありがたいことに、県立自然公園は村が申請して県に許可を得なければボルトを打てないから、ボルトを使わないという条件で開催を認めてもらいました。
子供のころは岩が遊び場だったという上原教育長はクライミングセンス抜群でバランスもパワーもさすがでした!
メンバー8名で素敵な岩を見上げ、村人に見守られながら準備してナチュラルプロテクション(ボルトやハーケンでなく岩の亀裂にひっかけるだけのナッツや自動で開くカムなどを用いるやりかた)でトップロープをセットしました。
「地球が誕生して以来、初めて人が登る岩だから浮石がありまーす!」とギャラリーに説明しながらいくつか石を掃除して、まず実験台でメンバーが登り、それから渡名喜島の大人2名、お子さま4名の方々にクライミングを体験して喜んで頂きました。他に役場など村の方々も、かわるがわる見に来られました。
クライミングが有望なアクティビティーである事は理解されましたが、転落による怪我やハブ咬症等に対応する際の救急搬送や医療など諸条件の整備はこれからです。
まだまだ時間がかかります。
クライマーの皆さまはくれぐれも、もう公開されて登れるものと早合点しないでくださいね。
集落外れのお花畑。
農産物はモチキビ、島ニンジンなどが有名です。
背景は義中山(ギチュヤマ)136.9m 左手奥は渡名喜島最高地点大岳(ウータキ)179m 。
今回は特別許可のクライミング体験会でした‼
RELATED
関連記事など