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山の日レポート

山の日レポート

通信員レポート「おきなわ」

やんばるでの山遊び

2023.04.11

全国山の日協議会

文・写真提供:沖縄山岳会員 座間味 眞さん

やんばるとは「山原」と書き、沖縄本島の北部地域を指し、山が連なる地形をなす。どこからやんばると呼ぶかの範囲は時代と人によって異なる。地質、地形的には名護層が伸びており、酸性土壌で粘土の赤土の国頭マージが露出している南限の沖縄市の北域だろう。人口が増え、住宅などが建ち並び、都市化が進んでいくと、やんばると呼ばれる地域は意識の中で後退していったとみられる。私は名護市以北をやんばると意識している。環境省が国立公園に指定したり、自然世界遺産登録を目指すにあたり、やんばるは東、大宜味、国頭の3村だと限定して、作業を進めた。

名護市の勝山シークワーサー祭りにて。背後は三角山。

私が子供だった65年ぐらい前に、やんばる出身者はやんばらーと呼ばれ、田舎者で野卑で品性がないイメージだった。最近は「やんばる、がんばる」としてワイルドでたくましいイメージに変わってきている。はるさー(畑人)が貧百姓からやる気の農業青年に、うみんちゅ(海人)が荒くれ漁民からさっそうとした漁師のイメージに変わったように。

やんばるを含む南西諸島は大昔ユーラシア大陸と地続きだったが、海により隔離され、生物は島ごとに独自の生存、進化をしてきた。暖流が近くを流れ、温暖で雨量の多い亜熱帯気候となっている。これらにより生物の種類が多くなり、生物多様性が高いと評価されている。そして、他の地域には分布していない固有種など珍しい生物が多い。詳しいことはいろんな本、雑誌、SNSで紹介されているので参考にして。これ以上書くとボロが出るから。

次は私とやんばるの関わりの話しに進めよう。私の兄たちがやんばるでのキャンプの会話が盛り上がってるのがたびたびあった。そばで聞いていた私は連れて行ってとせがんだ。中学3年の夏休みに帰省した大学生の兄とその友人たちと比地川にキャンプに出掛けた。現地まではたぶんヒッチハイクだったと思うが、兄たちは車を待つだけで歩かない。それでも車に乗せてくれるのが結構あった時代だった。

兄たちは米軍の払い下げのテントやキャンプ用品や食料などを担いで、川をさかのぼる。不規則に並んでいる大小の岩を縫うように流れてくる渓流。青く澄みきっている淵。初めて見た光景の中を歩き興奮を覚え楽しい。岸辺にテントを設営したら兄たちは活動しない。ゆんたく(雑談、ばか話)しながら、料理し食べて、後はのんべりしている。時たま淵で泳ぎ、浅瀬でテナガエビを採る。

生のサツマイモを口でくちゃくちゃして、ペッと水面に吐き出すとテナガエビが寄ってくる。エビは後ろにぴーんと逃げるから、背後にそっと網を回してから採る。これを焼くとおいしくておやつになった。兄たちは夜の宴で酒の肴(エビなのにさかな)にしていた。

1泊して、用があるからと二人が夕方に下山した。懐中電灯よりこれが明るいと、灯油を入れたビンに炎をともして去っていった。ところが20分ほどして血相を変えて戻ってきた。泳いでいた大きなハブに遭遇して怖くなり、翌朝帰ることにしたと。このころは首里の我が家付近でも藪が茂り、ハブは年に数回現れていた。翌朝、小さな支流の合流地点で歯を磨いていたら、ガラスヒバアがシダの間から顔を覗かせていた。

やんばるの山の中

比地の大滝に行った。まだ川沿いの遊歩道が整備されていない時代なので、川の中をさかのぼったと思う。最近行ったときにわかったが、滝つぼ近くになると大きな岩が急斜面で立ちはだかったのが続く難所である。若かったから運動靴ですんなり通っているけど、今ならこの年齢でフエルト底のブーツを履いているとしても、通りきれるかどうかである。この滝つぼでは過去に数名死亡している。高校1年生の時私の同期生で生物クラブ員の男子も亡くなっている。現在は滝まで遊歩道が整備され、屋我地島の保育園年長組も見学に来ていた。しかし、滝つぼに入ることは禁止されている。なお、この遊歩道は国頭村が山歩きとして推奨しているコースの一つとなっている。

思い出すとさらに長くなるが、以上がやんばるの初体験で、これで味を覚えて級友を誘って、米軍の払い下げ品を少しずつ買い足して、中学3年、高校1年生の時、数回やんばるにキャンプに行った。

続く

勝山シークワーサー祭りでガイドした沖縄山岳会員 右端が私

沖縄山岳会員の座間味 眞さんからレポートがありました。

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