山の日レポート
自然がライフワーク
【連載:西表島と私】 その8 島の街並みと産業
2022.07.15
日本中を回って「旅」を感じさせてくれるものは山と樹木、いや、もっと顕著なものは家の造りだろう。屋根瓦の違い、白壁、兜屋根、・・・・。ただ、最近は新建材で建てられた家が増え、どこを旅しても同じような街並みになっている。少し淋しい気がする。
西表島の伝統的な街並みと人家は、祖納、干立、古見の一部にあるにすぎない。他の多くは第二次大戦後の新しい集落である。古い集落では、道は東西と南北に走る道が基本である。道が作られたのは、車がない昔のことだから、道は狭く、車同士のすれ違いはできない。
四辺の道に囲まれた一ブロックに、数軒の家がある。家は横一列に並んでいる。つまり、どの家も前と後ろが道、両端の家は側面の一方も道、つまり三辺が道に面している。
各家は敷地全体を石垣で囲んである。石垣の内側には母屋を包み込むようにフクギが植えられている。強烈な夏の太陽と冬の季節風を遮断し、また、火事の際の延焼を防ぐねらいもある。南が正面である。前の道に面した石垣の中央が入口であるが、扉は無くつねに開け放たれている。
しかし、門を入って直接、母屋へ向かうことはできない。正面に中城またはヒンプンと呼ばれる目隠し用の衝立があり、それを巡って中へ向かう。中城は石か生け垣で作られている。敷地を囲む垣も、生け垣の家がある。敷地では、母屋の東側に花壇を、裏側に菜園を作るのが一般的である。すべて個人の家なので、不用意に庭先へ進入するなど、失礼のないようにくれぐれも注意して欲しい。
母屋は前側に三部屋をもち、東から一番座、二番座、三番座と呼ぶ。一番座は床の間があり神を奉る部屋。二番座は仏壇があり、祖先を奉る部屋。三番座は居間で、食事をとる部屋である。ふつう、一番座の東側が玄関に相当するが、日本家屋のような独立した玄関はない。後ろ側を裏座と呼び、やはり一番座、二番座、三番座があるが、前側に比べてやや狭い。裏座は子ども部屋、寝室、物置として使われている。
台所は居間の西隣りにあり、土間になっている。台所の外側に洗い場がある。以前は野菜や魚、食器類、洗濯物も含め、すべての物をここで洗った。井戸をもつ家もある。沖縄ではもともと湯船に浸かる習慣はなく、外の洗い場で水浴びをした。
トイレは庭の北西の隅に造り、ふつう、ブタ小屋と並んでいる。
以上が典型的な沖縄家屋のつくりであり、生活習慣である。しかし、現在、このような伝統的な家はほとんどない。水道も屋内に敷かれ、風呂もトイレも室内にある家が普通だ。
1960年代までは、旅館でさえ伝統的民家を使ったものがあった。今は無い。民宿も旅館もコンクリート製の新しい造りだ。
西表島でなんらかの職業に従事している人は住人2428人(2020年)のうち1365人。もっとも多いのが第三次産業従事者で全体の57.9パーセントを占めている。
そのうち観光業に関連した人が55.1パーセント、他は公務が34.7パーセント、卸売・小売業が10.3パーセントである。第一次産業従事者は全体の17.9パーセントで農業と漁業・水産養殖業に就いている。建設業・製造業など第二次産業従事者は全体の14.4パーセントである。分類不能者が9.8パーセントいる。
現在、西表島の産業は、観光が主流になりつつある。しかし、もとは農業中心の島だった。サトウキビ、パイナップル、マンゴーなどの熱帯果樹がおもな換金作物で、水稲栽培も行なっている。耕作地は島の東部、北西部、西部にかけて低地から丘陵地に広がっている。ただ、現在は高齢化の進行や後継者不足が深刻な問題となっている。
沖縄は畜産の盛んな県である。養豚、肉牛生産、養鶏で支えられている。乳用牛が極端に少ない反面、ヤギ、ウマが多いこと、他県では飼育されていないスイギュウがいることが特徴である。西表島では亜熱帯の自然を活かした低コストでできる肉用牛の生産を行なっている。
スイギュウは、約5、000年前からインドで家畜化され、東南アジアを中心に広い地域で飼われている。一方、野生のスイギュウも、インド、アッサム、タイなどに分布している。
沖縄へは1933年に台湾から石垣島へ、メス2頭、オス1頭が移入されたのが始まりだと言われている。粗食にたえ、その上特別な管理もいらないことから、長らく耕作やサトウキビの運搬に利用されてきた。現在は、専ら観光用に使われている。
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