山の日レポート
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【連載】地図(地形図)についての雑記帳 その13 ~バングラデシュ編(1)
2022.06.21
南アジアの定期市を調査するプロジェクトは、名古屋大学の地理学研究室を中心に、1984年度からスタートし、同年の夏に南インドで短期間の予備調査を行ったのち、本格的な調査を1986年1月(年度としては1985年度)にバングラデシュで始めた。
私にとって首都ダッカへ入るのは、そこが東パキスタンであった1971年2月に、たまたまカトマンズへ行く経由地として降りたまま、独立運動の混乱に巻き込まれてしばらく滞在を余儀なくされたとき以来のことである。
調査地はダッカの北に位置するタンガイル県ミルザプール郡で、郡庁所在地であるミルザプールの町に宿舎を借りてベースとし、周辺の村のどこで何曜日に市が立つかを確認することから始めた。
このとき使用した地図が、京都大学文学部の地理学教室に保管されていた、旧陸軍「参謀本部発行、陸地測量部製版」と記された縮尺125000分の1の地形図(発行年は昭和17年、すなわち1942年とある)のコピーと、調査のカウンターパートであるダッカ大学地理学研究室の協力で入手した、1911~1912年の調査にもとづき1927年に発行されたマイル・インチ縮尺(62500分の1)の地図のコピーである。
前者はもちろん陸地測量部が実際に作成したわけではなく、インド測量局のマイル・インチの地形図をなんらかの手段で入手し、縮尺を倍にして記号だけは日本語に訳したものだろう。原図の作成年は不明だが、「秘」だか「極秘」だかの印が押されていた。こういった地図は一般に「外邦図」と呼ばれ、軍が保管していて敗戦時に大部分は占領軍に押収されたが、一部が大学の地理学研究室等に流れたらしい。
後者はインドがイギリス植民地であった時代に作成され、東パキスタンであった1969年に地名の修正を行い、バングラデシュ独立後の1974年に再版されたと記されているが、1986年当時もこれに変わる地形図がなかったか、あるいは新しい地図があっても秘密扱いで入手できなかったのかもしれない。当時、南アジアの国々では、詳細な地図は、その国の大学などでも、簡単には手に入らなかったのだ。
私たちはそれらの地図を頼りに定期市を訪ね歩いたわけで、その結果をまとめたのが付図である。
結論から言えば、数十年前に作成された地図でも、最近造られた道路や施設が記載されていないのは当然として、一般に正確で、特に困ることもなかったのだが、たまに水路の位置が違っていたり、それにともなってあるはずの村が無くなっていたりすることに気づいた。
村人に確かめてみると、そこでは洪水のために川の流路が変わり、村もそっくり流されてしまったらしい。
それはいつのことだろうと尋ねても、「さあ、ここいらでは洪水は珍しくないからね、どの洪水だったかまでは覚えていないよ。」という返事が返ってくる。
バングラデシュの洪水被害のニュースはしばしば聞くが、その結果として地形そのものも変わってしまい、地図がそれに追いつかないということもよくあることらしい。
(つづく)
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