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静岡市消防局職員で伝説のトレイルランナー望月将悟 ふるさと井川でその自然と文化、自らのキャリアを語る(1)

2026.09.14

全国山の日協議会

日本海から太平洋まで日本アルプスを駆け抜ける、日本で最も過酷といわれるトランスジャパンアルプスレース(TJAR)の4連覇や、静岡県境を単独で徒歩により一周するユニークな記録などで知られる望月将悟さんは、静岡市消防局の現場で、山岳遭難救助を含むさまざまな救助活動や防災の分野などで勤務するかたわら、市の「南アルプスをみんなに知ってもらい大使」を委嘱され、広報面でも活躍しています。
また今年度からは公益財団法人全国山の日協議会のアンバサダーにも就任されました。
この聞き書きのシリーズでは、出身地である静岡市葵区井川で、自らのキャリアと重ねて、地域の自然と文化についてもたっぷり語っていただいた内容をもとにしています。

■語り手:山の日アンバサダー 望月将悟
「南アルプスをみんなに知ってもらい大使」「静岡市消防局職員」
■聞き取り:2026年5月13日 静岡市井川地区
■聞き手:鹿野勝彦、むらかみみちこ
■構成・執筆:鹿野勝彦(全国山の日協議会 科学委員会副委員長)
■写真撮影:むらかみみちこ(全国山の日協議会 科学委員会担当理事)

望月将悟さん

鹿野 「今日は勤務明けということで、お疲れのところありがとうございます。僕は東京の、それも都心にある高校、大学の山岳部の出身で、そのころ南アルプスにはけっこうよく来ていたんだけど、南アルプスってどうしても山梨県、長野県のイメージが強かったんですね。なにしろまず新宿で中央線に乗って、山梨か長野の駅で降りるわけだから。今回改めて地図を見て、そうか、塩見も荒川、赤石も、聖も静岡と長野の県境にあるのかって、再認識した」

望月 「そうでしょうね〜。鹿野さんは僕が生まれる20年くらい前から山に登っていたから、今日は僕もそのころ、つまり1950年代後半から1960年代ごろの、南アルプスを含む山の話が聞けるのを、すごく楽しみにしていました。鹿野さんの南アルプスでの登山って、どんなものだったんですか」

鹿野 「南アルプスって、いまでもそうだと思うけど、北アルプスの穂高とか、劔や白馬とかに比べれば、頂上近くまで森林におおわれていて、体力的にはきついけど、技術的な困難度は相対的にはひくい。だから入山者も少ないし、記録なんかもあんまりない。特に積雪期はほとんど他のパーティにも出会わないから、自分たちだけでルートを開いて登る、そこが魅力だった。山登りって、本来そういうものじゃないかって」

望月 「なるほど。そうですよね。で、それが将来のヒマラヤにもつながったわけですか」

鹿野 「さあ、当時はそこまでは考えてなかったけど、そういうこともあったかもしれない。
ところで静岡側から南アルプスに入山したのは1回だけなんです。金谷から大井川鉄道で入って、小無間、大無間から光(てかり)岳まで行った。それは大学2年の秋だったんだけど、途中までは全く道がなくて、藪漕ぎでたいへんだった。だからここへ来たのはざっと60年ぶりくらいか。懐かしいといいたいけど、実はこのへんの景色はほとんど覚えていません。ところで、これはそのとき使った5万分の一の地図です」

望月 「あ、これですか。当時は自分のいる位置やルートを確認するには、地図と磁石しかなかったんですよね。そういえば天候だって、ラジオの気象通報を聞いて天気図を取って、自分で判断するしかない。でもそういう時代だったからこそ身に着く力もあるんでしょうね。
僕自身も、井川っていう南アルプスの麓の地区で育ったことで、いつのまにか自然に身に着いた感覚や知識が、トレランだけでなく、消防の仕事を含めて、いろんな意味で役にたってるんだろうって、最近になって思うようになりました」

鹿野 「今朝、静岡駅前で望月さんの車に乗せてもらって、約2時間で井川に着いたわけだけど、実は駅前もここも行政的には静岡市葵区なんですね」

望月 「そうなんです。もともとは井川村だったんだけど、1969(昭和44)年に静岡市に編入されました」

鹿野 「駅前からまず北へ安倍川をさかのぼって、そこからに西に峠を越えて大井川流域の井川に降りてきたわけだ。井川は、集落としては大井川のいちばん上流に位置しているわけですよね」

望月 「はい。ここから上にもいくつか事業所やダム、観光施設なんかもあるけれど、住民がいる集落としては、ここが最後です」

鹿野 「僕が60年ほど前に来たときは、静岡より西の、大井川の河口に近い金谷から大井川鉄道に乗ってきた。大井川鉄道は今もあるけれど、井川に住んでいる方にとっては、車で静岡市へ出るほうが多いわけですか」

望月 「そうですね。静岡駅方面へは、途中で乗り換えがあるけれど、一日2本バスも運行していますし」

鹿野 「井川は、基本的には農業と林業で暮らしてきた農山村といっていいのかしら?」

望月 「うーん。ある時期まではそうでしょうけど、僕が聞いた話によると、電源開発とか、いろんな公共工事が盛んにおこなわれていたから、そういうのに雇用されて収入を得ている人も多かったのだと思いますね。
見ればわかるように、この辺では水田はほとんどないし、畑もそんなに広くないでしょう。もともと井川の農業は、地産地消っていうか、地域の外に出すほどの量を生産することはしていなかったと聞きますし。もっとも茶畑はけっこうありますし、井川茶はそれなりに有名ですけど、それもある時期からは過疎化が進んで、地域を支えるほどの産業になるところまではなかなか・・・
林業のほうも、やはり人手不足が最大の問題だそうです。これもみてもらえばわかると思うけれど、スギやヒノキは、植えた後の下草刈りとか間伐とかの手入れが充分できないし、最近はシカとかの食害も深刻だけど、それへの対応も、人手不足や高齢化で充分できないと井川の人たちは言います。」

鹿野 「そうでしょうね。まあ日本中でそうなんだろうけど、僕みたいな素人が見ても、ここでも背は高いけれどやせた木が、やたら密生しているところが多いよね。地区の人口もだいぶ減っているようですね」

望月 「そうなんです。井川地区には集落がいくつかあるんですが、静岡市に編入された当時の人口は、全体で約2500人だった。それが今は400人程度かな。もっとも行政の仕事をしていたり、いろんな工事に従事している、住民以外の長期滞在の方が、けっこういる。最近では外国の方も少し入ってきてくれましたが、、、そういう方を含めると、常時井川で生活している人は、もう少し多いはずですが」

鹿野 「今、学校に来ているんだけど、ここが望月さんの母校なんですね」

望月 「はい。ここは僕が生徒だったころは中学校で、小学校は別の、もう少し上の方の集落にあります。その校舎は、今は南アルプスユネスコエコパークミュージアム M:I(エムアイ)という施設になっています。
僕が学年の頃は同級生が12人でした。小中学校の9年間、そのまま持ち上がりです。で、井川には高校はなく、高校に通えないから、進学する場合はだいたい静岡の都市部へ出る。親が一緒に出ることもあるし、僕みたいに一人暮らしをする場合もありますけど。そこからさらに進学するとか就職するとかとなると、だいたいはもう井川に戻ってこない。そういうわけで、地区としては人口が減って、高齢化も進むわけですね。
今、この学校の児童生徒は、全部で小学生4人です」

左から 望月将悟、鹿野勝彦、静岡市立井川小中学校 酒井浩志校長

鹿野 「ちょっとネガティブな話になっちゃったけど、明るい話もありますよね。今度はそういうポジティブな話をしましょうか」

望月「ありがとうございます。井川はとてもいいところだと思っています。ただ井川の人は、自分もそうですけど、情報発信はどっちかといえば下手っていうか苦手なんで、今日はそのいいところを聞いてもらって、発信していただけるのはうれしいし、楽しみにもしていました」

(次回に続く)

井川ビジターセンター

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